ぼくが酒の味を本格的に覚えたのは17歳の頃だった。
ただし、それ以前にもよく仲間と飲み会はやった。
しかし当たり前だが、その頃はやはりおとなのふりをしてみたいだけの
可愛い酒の飲み方だった。毎日飲まなければいられないなんていう事なく、
成長願望という名の肴を相手に、ただ「自失」を求めていただけにすぎない。
ぼくは15歳のときに、まずオーストラリアのシドニーというところに渡った。
その後の2年間というもの3カ国を渡り歩く事になる。
そこへどういった目的で 渡ったのかということはここでは割愛させていただくが、
ぼくが本格的に酒の味を覚えてしまったのがちょうどこの頃である。
この頃は金がなかったので肴を取らず酒ばかり飲んでいた。
金がないくせに酒ばかり飲むのだからつまみにまで金がまわらないのである。
さらにそのころ、自分にとって、ガツガツ飯を喰わずに飲むのが
一種のダンディズムでもあった。結局この性癖はずっと続く事になってしまい、
「食べない=自分のスタイル」 になってしまった。
ただしこれは、ぼくのかねてからの持論である、、、
「ものを食うという事は排泄行為と同じくらい恥ずかしい事であって、人様に見せられる物ではない」
という考えがあっての事でもある。
ぼくは以前、ビートたけしさんや中島らもさんの著書をよんで、
彼等がまったく同じ事をおっしゃられていた事に、「やっぱりな」とおもった。
たとえば、よくテレビなどでカメラが流行りの店のラーメンなどを啜る
レポーターの 口元を大写しにし、脂ぎった口元でぴっちゃくっちゃ咀嚼して
目をつぶって首を斜に傾け、「ウ〜ン」とかなんとか言っているところを局が放送している。
「これはわいせつではないのか?」とそのつど思う。
って何を話していたんだっけ?あっ、酒の事だ、、。
そう、とにかくティーンの頃、ぼくのいたUS, OZ, NZでは、ビールが極端に安かった。
これは文無しのガキのくせに酒を飲む大ばか者にはとても都合の良い環境であった。
ビールが当時、こっちの貨幣価値で考えてもおそらく高い物でも百円しなかった。
安い物にいたっては50円位である。こいつがぼくの日常にスルスルっと入ってきた。
OZではちょっと高かったけどフォスタース、NZでは安かったからライオンキング、
USではもちろん貧民層の味方、グリーンボトルのローリングロックを愛用した。
いずれも350ml缶を日に10本以上空けても1000円 しない。
1000円あれば次の日にお釣でバーガーやパイを食べる事が出来る。
さらにビールはアルコールの度数が弱い事もあって一日中飲んでいられた。
向こうでは、ガソリンスタンドでも酒(アルコール度数15%以下のもの)を販売している。
日本に帰って来てからもこれは続いた。
ただしこの国ではビールだと金がつづかないので、いろんな酒に手を出し始めた。
生来アルコールにかなり強い体質らしくて、いくらでも飲めてしまう。
胃もそうとう丈夫なんだろう。
17も半ばを過ぎた頃、東京に出て来てバイトをしながら真剣に音楽活動をすることを決意した。
実はぼくは22歳まで、新宿の都立戸山高校の定時制に通っていた。
すでに "Georgie Pie" としての活動を起動に乗せていたので、
月に3、4本のライブをこなすには、 リハーサルをやり、5時に新宿に向かい、
学校の授業が終わってからライブハウスに向かってそのあしでGIGをこなす
といった事が毎回であった。さらに普段は、学校ーバイトーリハーサルと、
かなり一日のスケジュールをハードにこなしていた。
この頃から酒の量が加速度を上げて増えた。
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