この頃は、酒の量は日増しに増えているのだが、
一番やっかいだったのがストレスを酒によって 晴らす、
精神病学的理論でいう「報酬系」のシステムが自分の中に確立してしまった事だ。
実際、ウイスキーのボトルを一人で一本空けてもまったく平気な体になっていて、
それだけ飲んでも人の介抱までしている様になった。しかも毎日の事である。
ただしこの頃は、自分を律する事が出来ていた。バイト先の人に会ったり、
学校の先生などとの接触があったから、飲まない時間があった。
一日のうちでその間の8〜10時間程はドライに過ごせた。
ただしその後、朝方にそれらから解放された後、一日のトゲトゲしい時間の
かどを削るように流し込むようにしこたまのんだ。さらに二日酔いの体を
引きずってでも出席をとりに5時には学校に這っていった。
ファーストアルバムの発売記念ライブもリハーサルを終えてから学校に向かった。
この均衡が崩れたのは、音楽一本で生活するようになってからだ。
それまであった「飲めない時間」がなくなってしまった。
さらにぼくは、かねてから鬱病の気があってメンバーにも迷惑をかけていた。
鬱病にかんしては、かなり深刻で、身内に何回も助けられた。
この頃からぼくは、むさぼるように本を読みはじめた。
それまで音楽の事しか眼中に入らなかった自分にとって、
とても刺激的なレクリエイションだった。
ただし、ぼくの場合少し変わっていて、秀逸な小説を読みたいとかそういう事ではなく、
活字中毒になってしまったといった方がいい。それは例えば、わかりやすく言えば、
家に帰るとかならずテレビをつけてしまう人がいるが、
それと同じような感じで、内容はともかくなにかしらの本なり何なりが
手元になければ、落ち着かなくなった。
だからその頃から気の滅入るような難しいモノからアホみたいな週刊誌まで、
一日を活字と格闘をして、 酒とともに終える、そんな生活が続いた。
その頃ぼくは中島らもさんの本にであった。本は色々よんだけれども、
らもさんの小説やエッセイは一時期の尖ったぼくの心をトロトロにしてくれた。
しまいにはバイブルのごとく、外出の際には必ずぼくのジーンズの
後ろのポケットに氏の文庫本が忍ばせてあるぐらいだ。これは今でも続いている。
ぼくの書き出す詩や、こういった日記などは、ほとんど氏からのインスパイアに
よるところが大きいのはそういった理由からである。
そんならもさんと2年程まえ、ギタリストの石田長生さんのはからいで
お会いする事が出来た。
さらにはその後、99年の京都での僕達のライブで共演も果たすことができた。
その頃ぼくのお酒は絶頂を極めていたのに対し、ちょうど、
アル中と躁鬱病の地獄から這い上がり、 お酒をやめていらしたらもさんの
ぼくを見つめる目は絶対に忘れられない。
その時はちょうど4枚目のアルバムの製作の話が来た頃である。
ぼくの書いている曲、詩は、そもそもアッパーなノリの物が多いので、
こんな精神状態で書けるはずがない。
バラードを作って人を泣かすよりも、ギャグのようなアッパーでヘビーなリフを書いて
人を踊らせたいんである。鬱病の人間にハイになれ、というのは、
これはちょっとしたサド・マゾである。
そこで、酒を飲んで人工的にハイな状態を作るようになった。
余談だが、ちょっと面白いエピソードを紹介すると、ぼくは、レコーディングのさい、
いつでも飲んでいるのだが、たまたま歌入れの時に、ぼくとアシスタントエンジニアと
マネージャーしか現場にいない時があった。
ぼくは残りわずかのレコーディングの日程に危機感を感じていたのでどうしても
その日の内に歌入れをすませてしまいたかったので、しこたま飲んで作業を続けた。
しかし、結局そのままぼくたちは寝てしまった。気がつくと、真っ暗やみのなかで、
僕ら3人は昼間、駆け付けたスタッフに起こされた。
「やっぱり力つきて寝てしまったんだ、、、」とその時思ったのだが、アシスタントの彼が、
いきなりテープを回しはじめた。「原さん、録れてますよ、歌!」といった。
聞いてみたらきっちりテイクが出来上がっている。覚えていないんである。
この時は大笑いしてしまった。
そうやって、 気の重い時は昼であれ夜であれ、曲を作るのに必要な時は飲むようになった。
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